DATE : 2008/07/10 (Thu)
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新書レビュー
官任せの我々が生んだ『官製不況』
門倉貴史著(評:倉都康行)
光文社新書、740円(税別)
行政が貸金業に厳しく当たったのは、「高金利が悪い」という世論を意識してのことである。確かに法を無視した高金利は「社会悪」であるが、果たして高金利という一般概念が「悪」だと言い切っていいのだろうか。
どこの国の金融市場でも、信用力の低い企業や個人は高金利を受容せざるを得ない。国であっても、信用力の低い政府が借入れをする場合は高金利を支払わざるを得ないのである。高度な金融理論を持ち出すまでも無く、信用に応じた金利を設定するというのは、コメや麦などの穀物を「貸出対象」に置いてきた古代から人間が蓄積してきた叡智でもある。
ところが、新聞を中心にしたメディアは、金利が上がることはとにかく「悪」であるというイメージを社会に植え付けている。
それが社会通念として定着すれば、高い金利で商売をしている消費者金融は社会の眼の敵になりやすい。だが、金利というのは経済・金融の仕組みの中では信用力に応じた設計でなければ存在意義が無いものなのだ。返済能力があるのかどうか怪しい人に低金利で貸す人はいない。いまの日本が10年近くも「ゼロ金利」という異常社会の中に温存されているため、余計に高金利が敵視されるようになったのかもしれない。
金利は、つまるところ「その水準をどの程度に設定するか」の問題である。それを一番よく知っているのは金融ビジネスの当事者である。だが行政は、規制導入にあたって、金利のプロではなく金利問題に疎い世論の方を重視した。
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簡単なことです。
でも、法改正論議のときは、
これが通用しなかったんですよね。
民意に流される、
これがこの国の政治レベルです。
だから、世界から見放されるのです。
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